アルコール依存症になりやすいタイプ・ランキング
果たして、アルコール依存症になりやすいタイプとはあるのでしょうか?
私は”ある”と思います。
しかしながら、そういうタイプだからといって、皆がアルコール依存症になるかと言いうと、答えは当然NOです。
他人の性格の良し悪しは、表裏一体で時と場合によっても、それがうまく生かされたり、悪く働いたりしますね。
という前提の元に、完全私的見解で、アルコール依存症になりやすいタイプをランキング形式にまとめてみました。
【第5位】
無趣味。
普段は仕事で忙しくとも、たいていの人は個人で使える時間というのがあります。
暇な時に何をするか。
趣味があればそれに没頭すればよいですが、無趣味な人、無趣味に近い人は、空いた時間を埋めるためにアルコールを摂取します。
【第4位】
強いコンプレックス。
学歴、容姿、家族構成。
コンプレックスとなる理由は人によって様々でしょうが、受け入れたり受け流したり出来ないほどに何か強いコンプレックスがあると、その不快さをアルコールで紛らわせようとします。
【第3位】
お人好し。
他人にNOとなかなか言えない性格は、ストレスを簡単に貯めてしまいます。
そのはけ口としてアルコールを摂取するのは、安易なストレス発散方法だったりするのです。
【第2位】
親もアルコール依存症。
家族にアルコール依存症患者がいる人は、日々の生活の中でアルコール依存症の振る舞いが組み込まれてしまっています。子は親の背中を見て育つと言われています。親がアルコールに依存し、快楽を得たりストレスを発散する姿を自然と学んでしまった子は、自分も親に追従するかのごとく、アルコール依存症に陥る可能性が高いです。
【第1位】
八方美人。
人に良い顔ばかり見せようとする人。
自尊心の低さの裏返しかもしれません。人の役に立つ自分というのを演じすぎて、ありのままの自分を受け入れず、お酒に逃げます。お酒を飲むと、自分が素晴らしい人間のように思えて、他人にも寛大になれる…という錯覚に陥ります。
いかがでしたでしょうか?
あなたの家族・大切な人は、上記に当てはまりませんか?
アルコール依存症患者は、好きでアルコールにのめり込んでいった訳ではありません。
最初はグラス一杯のビールからの始まりでも、性格と環境がアルコール摂取を助長させます。
上記はあくまでも私的見解ですが、NYという土地で、旦那をはじめ、多くのアルコール依存症患者を診てきた経験からこのようなランキングを作りました。
3度目の癲癇(てんかん)発作
2017年5月14日、夕方5時30分。
旦那がアルコールの過剰摂取による3度目の癲癇発作を起こした。
義理の姉一家の住む家での出来事。
数日前から体調不良だった旦那は、食事も2日間ろくに取っていなかったらしい。
3階建ての家の2階の踊り場に佇む旦那。
私は3階から2階へ降りる途中で、旦那に声をかけた。
「パップス」
私は旦那のことをパップスと呼んでいる。
彼は私のことをキッツと呼ぶ。
ブルブルブル。
突如、私を見上げるパップスの、頭のてっぺんから四肢の先まで全身が震えだした。
志村けんのコントのようだった。
何をふざけているのかと思った。
ガクガクガク。
冗談で体を激しく振るわせているのかと思った。
私の方を向きながら、ぐにゃりとした笑みを浮かべた。
つまらない冗談。何が面白いのかわからないが、それは奇妙にコントじみていて、おかしくも気持ち悪くもあった。全身が10センチほど左右上下に揺れている。
何をってるの、と言いかけた瞬間、倒れた。
肩からぐらりと床に崩れ落ちた。
私の他に、高校生の甥っ子、義理の母もちょうど近くにいた。
「パップス、パップス!」
何がなんだかわからずに、皆彼の元へ駆け寄る。
パップスは目を閉じて、泡を吹いている。
体はまだ痙攣している。
私は瞬時にパニックに陥った。
癲癇発作?!
なぜ?!
彼はもうお酒は飲んでいないはずなのに!
脳梗塞?
それとも他の病気?!
神様を信じているわけではないのに、
「Oh my god、Oh my god!!」
と、私は繰り返し叫んでいた。
バカの一つ覚えのように、それしか言葉が出てこなかった。
職場からちょうど帰宅したばかりの義理の兄が駆けつける。
義理の姉も現れた。
「救急車を呼んで!救急車を!」
義姉が叫ぶ。
義理の兄が携帯で911へ電話すると同時に、私たちにテキパキと指示を与える。
「枕を持ってきて、体を横向きにして」
義兄は獣医で、動物のERで働いている。人間の救急隊員の経験者でもあった。
数分で救急隊員が現れた。
脈を図り、彼の病歴を確認する。
この時はまだ、この癲癇発作がアルコールによるものかはわからなかった。
しかし私は前回の癲癇発作も目撃している。正確な時期がとっさに思い出せなかったが、過去にも倒れていることを伝えた。
これはきっとアルコール摂取による癲癇発作に違いない。そう思ったが、定期的な飲酒は辞めたはずなのに何故今発作が起きるのか、不思議でならなかった。
続いて救急車も到着し、車で30分ほど離れたところにある総合病院へ運ばれることになった。その頃には旦那の意識は戻り、なんとか立ち上がることも出来るようになっていた。
救急隊員に肩を担がれながら、ふらふらと階段を下りるパップス。
救急車の中ではベッドに横たわり、退院と状況整理のために話をしている。
同行できる親族は一人のみということで、妻である私が救急車の助手席に乗り込んだ。
『またか……』
アメリカで救急車に乗るのは2回目だ。両方とも助手席で、2回ともパップスが倒れたために起きたことだった。
涙がにじみ出た。
救急車を運転する隊員は、涙を手の甲でぬぐいさる私に気付いていないのか、気付いていても興味がないのか、特に私に声をかけることもなく、淡々と車を走らせる。
窓の外に広がる、のどかな田舎の風景。
これが俺の日常だと言わんばかりに、黙々と目的地を目指す救急隊員。
私は段々冷静になってきて、鞄からガムを取り出した。
運転席の退院に、ガムはいりますか?などと声をかけてみる。いらないと言われ、私は一人でガムを食べた。
病院は綺麗で新しかった。
前回緊急搬送された病院は、JFK空港の近くで、小汚く荒々しい病院だった。
そこと比べると、ここは落ち着いている。
担架で救急病棟の個室に運ばれる。医者や看護師がすぐに現れ、脈を図ったり搬送された経緯を隊員から引き継いでいる。
医師と看護師は、私にも旦那の病歴を確認する。
この発作は初めてではないこと。
過去に2回癲癇発作が起きており、時期がいつだったかを話した。
救急車の中で、薄れた記憶を呼び起こし、倒れた時期を確認しなおしていたから、今回はちゃんと伝えられた。
呂律の回らない舌で、何が起きたのか私に問う旦那。
発作の後で、まだ記憶が混濁している。
げっそりと頬のこけた顔。
ぼさぼさで水気のない髪の毛。
道端に捨てられた子犬のように、不安そうに周りを見渡す緑の瞳。
心臓を鷲掴みにされたような痛みが起きると同時に、昨晩はちゃんとシャワーを浴びたのか、無精ひげのせいでみっともなさが増している、などと考えてもいた。
携帯電話(*)を取り出し、義姉へ連絡する。
テキストを打つ自分の指が少しだけ震えていた。
アルコール依存症でもないのに、私も手が震えたりするんだと、不思議な気持ちになった。
旦那の3度目の癲癇発作。
怖かった。
ぐにゃりと崩れる顔。
異常な激しさで痙攣する体。
あんなパップスの姿は2度と見たくないと思っていたのに、また見てしまった。
悲しかった。
*NYの病院内では携帯電話の使用は許可されています。
旦那は重度のアルコール依存症 in NY
はじめまして。
ブログ初挑戦のキッツと申します。
国際結婚歴10年、滞在先はNY。
兼業主婦、子供なし。旦那の実母と同郷経験ありのアラフォー女性です。
現在進行形で、国際別居の道に向かっています。
理由はたくさんあれども、根本的な問題は旦那のアルコール依存症が原因です。
アルコール摂取による、3回の癲癇発作。
入院。
リハビリ。
事業の失敗。
借金。
旦那の実母もアルコール依存症。
嫁姑問題。
ニューヨークというカオスな街でのタフな生活。
国際別居に至る道筋を辿ってみようという気持ちに、やっとなれました。
この10年間を振り返り、見つめなおすことで前に向かって進める、と考えてます。
ブログというのは自分自身のために書くものである、と認識しています。
しかし同時に、私の経験・その時感じたことをシェアーすることで、この瞬間、依存症の家族を持ち悩んでいる方、国際結婚で悩んでいる方の役に立つと信じています。
「自分だけじゃない」
そう思えるだけで、救われることがあります。前向きに進んでいける時があります。
生粋のニューヨーカーである友人にもドン引きされた私の経験。
恥を忍んで、心臓をバクバクさせながら、公の場にさらします。
共に前へ進んでいきましょう!